ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

でかした


https://www.youtube.com/watch?v=lIYkcL9QzRA

でかした!!!!!!!!!
でかしたよ!!!!!!!!!

こういうのが効くのよ。こういうのが。
いぬいのこういう方向の歌みたはそうそうないから。
フレンとのチューリングラブくらいでは?
しーちゃんがいぬい推しで、
いぬいの低音男声パートと一曲共にしたいという気持ちは大変良くわかります。
良いですよね。。。
大変良い。
ただ、まちまの低音とハモッてるアイデンティティは聴いて。必ず。良いから。

で、この曲もチューリングラブ同様に男声パート女性パートなんだけども、
Cメロ(?)まで、すっぱり女声と男声がわかれているね。
いじらしい。いじらしいね。
どんな曲たちのなかからこの曲を選び抜いたのかはわからないけれども。
せっかく一緒に歌うなら、もっと掛け合いのある曲を選んでもバチは当たらないというのに。
あるいは、この歌詞をいぬいの歌声でじっくり聴きたいということでもあるかもしれないね。

曲も良いし、MVが大変良い。
バレンタインに公開というブランディングに実によく沿った曲でもあるし、にじさんじは委員長を筆頭にした箱だという点でも実にポイントが高いよね。
いぬいが前の席で、しーちゃんが後ろの席だというところとか、
いぬいが振り向くことなく髪をいじりながら意識だけ向けているとことか、
しーちゃんがまっすぐいぬいを見据えているとことか。
そしてなにより歌詞が大変良い。
その点では、いぬい推しでありながら、ライバーであるというところをしっかり活かしていますね。いいぞ、もっとやってほしい。
フレンもだいしきゅーだいしゅきでやっていたけど、いぬいにこの歌詞を歌ってもらいたいという熱量が感じられて良い。

そして歌詞がしーちゃんといぬいの関係性にじつによくはまっていますね。

「意識してほしくて」「あなたが好きなの」

しーちゃんは一生ゲームやってるタイプで、FPSもやるし煙草もやるし、首絞め(!?受け身!?今ようやく初配信眺めて知った)もやるし、同じクラスにいたとして、ひすぴとは話し合うけど、戌亥とはそもそもあんまりしゃべらなさそうではあるよねみたいな偏見があります。

しーちゃんの「あなたが好きなの」に対して、
いぬいが「君を愛おしく思うよ」と返すんですね。

男女のデュエット曲も、
いぬいが歌うと違和感なく受け入れられるんですね。
いぬいは役割を全うするというか、俳優的なスタンスで歌ってくれていると思うので、性別を持つ歌詞でありながらも、
舞台で起きていることとしてすんなり聴けるんですね。

ああ、百合として聴いているんですね、ということではないんだ。
この曲もフレンとのチューリングラブも百合ではないんだ。
断じてこれらは百合ではないよ。
百合は各々勝手に感じとるものだといつだか書いた通りではあるが、
いぬいの歌みたに関しては、前述のとおり、その歌い方でもって、
それらは百合として聴こえてこないんですね。
じゃあどういうふうに聴こえているの?という問いには、愛ですかね。。。
Big Love。。。。
いぬいが愛を歌うときには、ピュアに愛情が届くんですね。。
不思議だね。。
なのでこの曲は愛として聴こえています。

で、それらを踏まえて、
この歌みたからは、
しーちゃんのオタクとしての推し愛と、ライバーとしての下心が
まっすぐに伝わるんですね。
ライバーの立場を利用していぬいに近づくだなんて!!!オタクの風上にも置けん!!!!
などとほざくオタクはいないと思いたい。
この下心こそが、このコンテンツを成立させているといっても過言ではないよ。
いぬいが俳優的に歌うことで、さらに下心が引き立っているね。

「振り向いてほしくて」「意識してほしくて」「貴方が欲しくて」「貴方のものになりたくて」
しーちゃんがいぬいに対してどういった、どれくらいの推し愛を抱えているのか、
想像が膨らみますね。
さぞかし濃くて重いんだろうね。。。良いね。。。

いぬいの独唱を経て、満を持して、掛け合いが始まって、ハモりが始まって、
歌詞がストレートになって、
最後に、いぬいがしーちゃんの香りに気づくんですね。
どちらかというと、しーちゃんがいぬいの記憶に刻み付けた香りなんだね。
しーちゃんは匂いフェチなんだって。

総括して、大変すばらしい選曲、MV、歌詞割りでした。

ところで、しーちゃんの配信もダウナーで、深夜作業のお供にピッタリですね。
ああ、また関係性が増えた。。。idios追わなきゃ。。。。。

 

 

 

 

 

目が冴えて

関係性オタクについて

 

「みんな」が仲良くやっているのを眺めていたいということなのよ。

もちろん推しありきよ。

だからどの箱にも1人は推しがいるのよ。

もちろんその推し1人でもいいのよ。

でもそれだけだと味気ないじゃない。人間的に。

VTuberは2.49次元なので人間的に。

推しが他人と仲良くやっているのは安心するのよ。

ああ人間やってんな的な。

自分のことは棚上げできるのがいいんだ。

推しが代わりに人間やってくれてるんだ。

「みんな」とわいわいやって楽しくしてくれていれば満足じゃないか。

 

人付き合いって難しいじゃない。

番組にもよりけりだがテレビに出てるような人もそうだけど、配信者界隈の人たちを尊敬する。

初対面で仲良くやれて、それがエンタメになるって何?

(前世からの絆が~とかは今どうでもいいんだそんな話はしない)

 

インプロの類はアレだけど、演劇ってまず事前に打ち合わせをするじゃん。

演劇が何を見せるのかってのはそれはそれで話題なんだが、

今取り上げたいのは、人と人が初めて出会ってから、距離感を測り合いつつ、お互いに居心地のいい場所を見つけていく過程をあらかたエンタメにするって何?ってこと。

 

私とあなたの関係ってああでこうでそうでと事前に打ち合わせをした人間の関係を見せていくってことと、

もはやその打ち合わせをインターネットに垂れ流しちゃおうぜみたいな取り組みってちょっと想像がつかない。

 

新しく出会う人との関係構築の過程って、するする馬が合うこともあるけど、やっぱり失敗して失敗されてってないわけないじゃん。

で、その失敗した失敗されたときって、構築しようとしてるその関係が重要じゃない場合には離れておしまいにしがち。重要だとしても、失敗が起こったときに、それをストリームとして垂れ流すどころか秘匿しがち。

内向的だから社交的な人がやってることが理解できないってことやね。

だからこそネットが生息地の人に向けたエンタメとして成立しているということでもあるんだね。

配信業のくくりでいえば、もちろん別に他人とのシナジーを高めることがすべてではないけど、登録者とか、再生数とか、数字を追いかける上では欠かせないじゃん。

ニコ生黎明期にもVTuber黎明期にも、少人数の界隈の中でコラボにコラボが重ねられて知名度を上げてってくだりをやっていった人たちがいるから今の規模があるわけで。会社として立ち上がって、投資家の金が業界に流れてきたから、今まで見れなかった派手な3Dライブが見れるようになってきたわけじゃん。

活動開始からずいぶん業界が膨らんだ今に至るまで、登録者が2次関数的に伸びてるとか、同接が少なくなったとか、個人個人で状況は違っているけれど、黎明期勢はやっぱりリスペクトしているのよ。

関係性オタクできるのもそうやって知名度上げる時期があったからこそだもの。

VTuber同士のかかわりがなきゃ関係性もクソもないもの。

 

だから黎明期勢が居なくなるのは、どんなに追っていないVだったとしても痛いのよ。

寂しいのよ。黎明期勢は活動も長いし、背負ってる関係性も多いから、推しとの触れ合いをたいてい1回は見てるのよ。関係性オタク的にはもう欠かせないピースになるのよ。

 

で、まずちーさんの話になるけど、ちーさんの卒業もめっちゃ痛いじゃん。

虹1期なんて委員長と一緒に箱が沈むまでいるもんだと思ってたし。

受け入れられないのよ。今もまだ受け入れてないのよ。

でもちーさんはそれなりに時間をくれたじゃない。

前向きな理由だって言ってくれたじゃない。それならもうあとはこっちで覚悟決めるだけじゃん。

次の場所でうまくやれるように祈るだけじゃん。お別れ会じゃないけど1期コラボもやってくれるじゃん。

そういうのがあってゆっくり呑み込んでいけるわけじゃん。

 

で、よっさんの話。

本当に申し訳ありませんでしたって。

もう会えませんって文面で終わりじゃん。

16:00とかの発表を17:00の、仕事が終わってさあ配信見るやで誰がやるんかなってタイミングで見つけるじゃん。

悪夢以外の何物でもない。

今日作られる関係性を楽しみにしていた矢先に冷や水をぶっかけられるかんじよ。

痛すぎる。

し、飲み込めない。口にヘドロをぎゅーぎゅー押し込まれる気分ですよ。

呆然としていぬいのスプラ見れないし、みこめっととしらかみのコラボ見れなかったわ。

なぜ?ばかり探していた。

飛び交う憶測の中から自分を納得させるに足る経緯を想像で補うしかないじゃん。そうしないと飲み込めないもの。インサイダー取引VTuberのターゲット層にほどほどに響くいい材料だね。活用します。完全に憶測なんだけどね。でも、その材料で補完しなきゃ。意味わからんから。

前日の配信の最後にまたねって言ってたじゃん。はい今日から会えませんって。意味わからんから。

補完しなきゃどうやって飲み込むのよ。

失敗したんだってことだけじゃんわかるのは。でも失敗なんて誰でもするじゃん。いつでもするじゃん。

1つのミスで何もかもがパアになるって確かにあるよ。でも、そういうのって振り返るじゃん。

なんで失敗したんだっけ。次失敗しないにはどうすればいいんだっけって。で、これを繰り返してきたから人間ってここまでできるようになったんじゃん。

1回失敗しましたはいもう会えませんって。集中治療室とか山岳地帯とか高所作業とか化学工場とかじゃん。

結構あるじゃん。

配信業ってそういう位置づけだって認識しろってことか。

より配信が輝いて見えるよ。

もう泣けてくるよ。

奇跡ですよ。

誹謗中傷コメントに囲まれつつ、VTuberの世界にいながら現実的な制約を潜り抜けて生放送でしゃべり続けてるの奇跡ですよ。

 

つらい。ただただつらい。特にホロはどこか安心してたところがさらにつらい。

ホロ特有のスクラム感を感じていて。そういうのって船長はじめ、シナジー高めていこうって活動がホロメン主催でコラボなり大会なりで醸成されてると思うんだけど。

ホロ0期はもちろん黎明期勢だし安定感あるけど本当に初期の個の時代を、0から1を作る時代を駆け抜けてきているから。やっぱり1期と比べると同期感はアーカイブ的にも薄いっちゃあ薄いよね。

一方で、1期はやっぱりフブキングを背骨にまつりちゃんなんかも炎上すれすれのコラボや同期コラボで知名度シナジーを上げていってくれて、結果的には業界を網目にしてくれたというか、1から10をやってくれた世代だと思うのね。振り返ってみれば。

そんな1期の集まりによっさんがもういないって。信じられない。

 

正直次のホストワ回あると思ってました。

よっさんとおかにゃんとルイ姉とが集まってくれると思ってました。

青君が増えそうでもある。

 

無念です。

 

VTuberに出会ってから、離別の苦しみは時間でしか解決し得ないことを思い知らされ続け、

また、絶対に推しは推せるときに推さなくてはならない。

 

2月末にはよっさんのアーカイブも非公開になるらしい。

何故だ。つらい。やめてくれないか。いいじゃないか残していたって。

本人の希望であれば致し方ないが。

呆然とサムネを眺めてしまった。

なぜ消す必要があるんだ。

長い時間をかけて作り上げたコンテンツじゃないか。

お知らせ前日の配信がトラウマになるかぷ民もいるんじゃないか。

心の内を想像するだけで胸がいっぱいになってなにも手につかない。

どうか安静にしてほしい。

 

飲み込めはしないが、感謝しきれない。

ありがとうとお疲れ様でいっぱいだ。

これから歩む道に幸多からんことを祈ります。

 

疲れてきた。

ようやく寝れそう。

今日のところは。

生活習慣を変える

週1回、1時間半。

ここ半年くらいは1時間。

いつから習慣になっていたかはもう定かではない。
いつからだっけ。

授業の合間に通っていたことはもちろん覚えているが、
それでもどの程度だったかは覚えていない。
そのときにはすでに週1回だったかもしれないし、
週2回だったときもあった気もする。
財布を眺めて月に1回にしておこうと決めたような気もする。

思い出せない。
なんとか思い出したい。
ググった。

。。。無い。
お店の歴史は残っていない。

店主が記録しない限りは、なかなかお店の開店や閉店はインターネットに残らない。
大抵のお店はどこも競争状態で、どこかが閉まれば、近場の店に人が流れるだけのこと。
店舗の跡地にはすぐにまた別のお店が入ってきて、
もともとのお店が何だったのか、
いつから開店して、いつ閉店したか、
ほとんどの記録は残らないまま。

そこそこ名前のしれたチェーン店だったし、残ってても良さそうだけど。

。。。
あ〜あった。

レンタルショップの開店と閉店を追いかけるという奇特な人のブログによれば、
前身の店がオープンしたのは2016年3月1日らしい。
https://cd-open-close.hatenablog.com/entry/20150621/p4

ありがてぇぇ。

カラオケスタジアムが開店したときには、派遣だったということだ。
原付きで通勤していた。
まだシダックスに通っていた。
通勤経路上にあったし、北口唯一のカラオケ屋だったし、
帰りがけに一杯やってくみたいなかんじで良かった。

カラオケスタジアムに原付きで行った記憶は、、ないような。
GEOだったときなら原付きを停めた覚えがある。
車で通いだしたのなら、、、2017年よりも最近で、、
長いと6年弱くらいかしら、、、
そもそも芝居の稽古をしていただろうし、
そんなに頻繁に、、、ん〜、通っていた気もする。
コロナでどうこうという話になってから、
ヒトカラしかしないけど不安で1ヶ月くらい自粛した覚えがある。
あの期間、息苦しくて頭がおかしくなりそうだったからよく覚えている。
そうすると、少なくとも2018年ころには週1頻度だったと思う。
うん、多分少なくとも5年くらいは週1で通った。
同世代のみんなが酒とタバコにかける金額を、そのままヒトカラに充てている。

カラオケスタジアムができてからしばらくして、
シダックスは閉店した。
おそらく客層の大半を占めていたであろう大学生からしても、
数百メートルの差が非常に大きかったのだろうと思う。
あたしもそうで、オケ屋がめちゃくちゃ近くなったことで行動パターンが変わった。

自室の次に安心できる場所だった。
部屋の一部といっても過言ではない。
実質、メンタルバランスを整えている習慣だし。
コロナ禍で閉塞感漂うなか、一層、
なくてはならないというか、
あって当たり前の場所になりつつあった。
舞台を除いて、叫べる場所は多くない。


しかし、全然気づかなかった。
先週も行った。
どこかに張り紙がしてあっただろうか。
気づかなかった。
年始に職場でコロナが流行って、
1月は2回しか行っていない。
ヒトカラ初めはなんだか喉が開かなくて、
体の感覚も若干忘れかけていたし、
年末年始に引きこもっていたからかしらとか思ったり。
先週もぼちぼちで、まあまあゆっくり戻していくかんじで、と思っていた。
来週頃には、そこそこ戻ってくるでしょうと思っていた。

いつも案内してくれる奥の手狭な部屋と、時々案内される若干広い部屋と、
照明を点けないから、大きな画面が部屋を照らしている光景と、
柔らかいけど固くないわけではないソファーの感触と、
いつも飲んでいたカルピスウォーターの味を、
まだ覚えている。

確かに客足はめっきり減っていたと思う。
それでも最近、コロナは5類になるという話題が大きく聞こえてきて、
街の客足もだんだん戻ってきていると噂で聞いて、
すいちゃんのライブも声出し解禁されていて、
これからという感じだったと思うんだけど。
やっぱり無理だったのか、店長さんが他のことをしようと思ったのか。
カラオケストリートは閉店しました。

めちゃくちゃショックで、
呆然としたまま、
南口に次の部屋を探しに行ったけど、
気が滅入ってばかりで、帰った。
800円の日本酒をちょっとやって寝た。
これはほとんど1時間の部屋代だ。

 

リニューアルオープン!って、また始めたっていいんですよ!

 

大変お世話になりました。

ありがとうございました、さようなら、と言えなかったのは心残りだけれども。
仕方ない。そういうもんか。

あと5年後までに1回くらいは芝居したい

まだ今日は終わってない。
終わってもなあって感じ。
別に何もないけど。
終わってもなあ。しょうがないしなあみたいな。

面白そうなことをしたい。
面白いか面白くないか、まだちょっとよくわかんないくらいが面白くていい。
めんどくさくても、まあまあ、いいでしょう。
むずかしいのも、まあまあ、よしとしましょう。
じかんがないのは、ん〜、くわしくきかせて。
面白みがあれば、お付き合いしますよ。

今やってることは、
あんまり良くわかってない界隈のことについて、
めちゃめちゃだるい日本語がだらだらかいてある要件から、
ほどほどに夢をみながら、寄り道もしたりできそうな機能を実装しようという、
まあ面倒くさい話なんだけど、
やっぱりほどほどに夢が膨らむと、
それなりに手も動くというか、
どうなるんだろうとか、どこまでできるんだろうとか、
そういうことが気になってしかたないっていう、
そういう話題の膨らませ方をさせてもらっているから、
いいです。とてもいい。
はたらきますよあたし。えいさほいさはたらきますとも。
心が自由で、体もほどほどに自由にさせてもらっているんで、
えいさほいさ。
次は。次はどうなっているんだ。
そればかりが気になって手が進んでいる。
テーマが楽しいかというと別に多分楽しくはない。
なんならどうでも良い。
ただ、次が知りたいってだけで、手を動かし続けている今が楽しいという感じ。
理屈でつながってる面白さってそういうところあるんじゃない?
辿っていく楽しさみたいな。漢字練習帳?塗り絵?そういうやつ。

偉大なしいたけさま曰く、今月は休む月らしい。
実際、休み感はあるわ。閑散期だし。
ただ、頭痛くなるくらいには目を酷使してて、これで良いかね?
めちゃくちゃ視力落ちてきてる実感ある。
久々にまだるっこしい日本語を読んで頭が疲れているフシもある。
スプラやる気が起きんくらいには目と頭が疲れている。
休みらしいし、良いんですよね?これでね?
しいたけさまは偉大だ。

今月入ってから頻繁に育った場所の、小学生時代の同級生の夢を見てる。
まだまだ執着があるよこれ。めちゃ後悔してるもの。
よぎるよぎる。手が動かなくなったときに。なんであんな過ごし方しちゃったんだろうなって。
よぎるよぎる。なんでこうなっちゃったんだろうなって。
どうだったら良かったのかってことばかりかんがえてしまうね。
やめたいと思っているからできるだけ蓋をしてるけど、
やっぱり気が抜けると、休み感でると、蓋開くんだろうね。
思春期忘れるのって難しいもんですよね?たぶんみんなそうだよね?
どうすりゃいいんだろうね?
そうこうしているうちにあっという間に年を食うんだろうね。
食ってきたしね。

なにしろ、子供が夢を見ているときに、あんまり茶化してはいけませんよ。
夢を見て、目標にして、実現させていこうっていう、そういうことをやっていくのが、絶対に良いよ。
我慢して、我慢して、定年過ぎたらなんて、馬鹿げているね。
真顔で言ったからねあれ。
何度でも言ってやりたいね。
馬鹿げているね。
馬鹿げている。
とっとと逝っちまったほうが良い。
ぽっくり逝かねえかなって思って、キーボード叩いている。
ぽっくり逝かねえかなって思って、無駄に夜更しする。
しぶといよ。まだ生きてる。
しぶとい。

 

一時退避

無理になった。

6月頭にメリーがいなくなって
7月末に黛がいなくなってていう間にも、
Vじゃない人も手の届かないところでばたばたいなくなって、
それどころかtwitterでデレマス二次漫画供給をしてくださっていた方すらも
闘病の末いなくなってしまったということが立て続いて
そういったこともひっくるめて
延々と降ってくる作業に一喜一憂して気を紛らわせていたつもりではあったけど
メンタルが無理ってなった
案の定、従業員満足度を下げる客から、
明日までに作業を終わらせろと嫌がらせとも受け取れる連絡を受けて無理ってなった。
明日からの連休に向けてどんだけ段取りしてきたと思ってやがるいやお前別に期限切らねえって言ったよな先週言えよと言ったら、
これも案の定、前任の方は云々と言い返してきやがるのでほんとに無理ってなった。
見かねた上司が作業をひったくってくださったので、負けず嫌いからくる自傷的行為をせずに済んだ。感謝ここに極まる。
そういう仕事の振り方をしてくる奴は前の職場にもいたが、会社の枠を超えて明日までにと行ってくる奴は記憶にない。
そういう奴にはだれも付き合ってはいけない。そういう奴に仕事を進めさせてはいけない。
客だろうが下請けだろうが、段取りが組めない・予定を立てる気がない奴と仕事をしていて休めるわけがない。
段取りが組めなきゃ自分で収集をつけろ。
いつまで神様のつもりだ。もう令和だ。


で、無理になったままホロライブサマーして寝たけどやっぱりまだ無理ってなってたから、
ああこれは無理なんだとようやく観念した。
ワンピースの映画見に行った。
今年になって初めて夏らしいことした。
夏休みを狙った映画をなんだかんだ毎年観ているが、コナンとかポケモンとかワンピースとか、
このへんのアニメ映画をしばらく見ていなかったけど、
Ado様出るっていうし、中田ヤスタカが曲書くっていうし、ワンピース原作も物語クライマックスだし、
シャンクスの娘なんてのが出るってことで(それは作品的に色々大丈夫?という点でも)気になっていた。

観ていて思い出したけど、コナンとかポケモンとかワンピースとか、
この辺の映画ってお祭りだったなって。
原作の進みがどうのこうのではなくて、かっこいいあいつが、かわいいあの子が、
原作とちょっと違った状況であれやこれやして夏休みを楽しもうというコンセプトが大事で、
これは何か、原作とその物語性を大事にすればするほど許せなくなっていくものだと思うけど、
これはこれとして、お祭りとして楽しむというスタンスを忘れたくないですね。
楽しかったわ。
ウタが魅力的すぎ。
シャンクスがかっこよすぎ。
お祭りのゲストとして出てくるキャラも、お前ここで出てくるんかいとさんざん突っ込みを入れたくなった反面、
懐かしいわ久しぶり、みたいな。

監督がコードギアスの谷口監督ですとは見聞きしていて、
どうなるんやろかとちょっと気にしていたんだけれど、
めっちゃ王道な夏休み映画になってたうえに、
ワンピースのギャグがめちゃ映えててスゲーってなった。
ワンピースのギャグのノリって、そのシーンがどんなに暗くて重くても、
その瞬間だけだいたいなんでも前向きに明るい方向で面白くなって、
雰囲気を壊さないギリギリのところでスッと抜けていくと思ってるんだけど、
絵とセリフとの関係が云々。

あと尾田先生が脚本ができた段階で、
これウタに説得力無いと成り立たんやんって言ってた意味がよく分かったというか、
まじでそうだったね。でもAdo様と名塚様と音楽のパワーで押し切られたよね。
この映画の方針というか戦略に思いを馳せると、
あ、これ神虎だわと思い至った。
あるいはルルーシュでもいいんだけど、シーン的には神虎輝くときでしょ絶対。
神虎を前面に押し出しての、正面、突破、ですよこれは。
Ado様の歌唱力を前面に押し出しての正面突破でしたこれ。
こんなにAdo様パワーが重要だとは思わんかった。
Ado様の映画と言って過言でないよ。
なんならルフィすらぽっと出のウタがでかい顔してスクリーンに出てくるための
舞台装置の一部みたいなところありませんでした?
でもぽっと出なんて言わせないんです。名塚さんがしゃべってAdo様が歌うので。
中田ヤスタカの曲から話が始まるので。
これをぶつけられる今の子供ってどういう気持ちになるの?
一曲目からあんなに劇的なシーンだと、脳内麻薬出まくりじゃない?
現実世界ってほんとつまんなく見えてこない?ちゃんと帰れてる?
自分いい大人ですが、全然現実世界に帰れません。ずっと新時代が頭の中で流れてます。

観に行って良かった。
メンタルは整えられた気がする。
なんかここ数年は映画行くたびに泣いてる。これも全然泣くつもりなかったけど、
クライマックスでスクリーンからぶつけられるエネルギーに圧倒されて、泣いちゃった、ワ!
たぶん泣けるシーンを探してる。

すんなりパソコンに戻れた。
Microsoft最高。ここ1年他人のコードを読んで、自分で書いてを繰り返して、
改めてMicrosoft最高。
.NET Frameworkはひと段落ということなので、あとは枯れていくだけ。
社内事務をさばくだけならもうこれを使いなよって思う。
地方中小企業であればなおさら、情報処理をやる人間を雇わない理由がない。
全部自社で作りなよ。全然できるよ。
とにかくパッケージに合わせられない(合わせたくない)人が多すぎるが、
企画開発と運用保守で2人いれば。100人規模くらいの会社ならきっと対応できるでしょう。
金を出したくないならなおさら。社内で完結する作業くらいなら、
自社で作った方が圧倒的に安あがりで、満足度が高いよ。
ノーコードツールは非推奨です。
貴社の従業員が、自分でツールを作ることに興味がある、
あるいは抵抗がないならお使いになった方が良い。
パッケージに合わせられないくらい作業を俗人化させたがりな中小は、
月額契約でノーコードツールを使おうとするよりも、コンピュータを理解した人間を雇って、
自社開発をし続けた方が良い。
そして貴社がなくなるときに、技術的負債を一緒に棺桶に入れて燃やしてくれ。
ツールの規模が小さければ小さいほど、システム化はもう外注する方が話がややこしいと思う。
誰も得をしないどころか、関わった人間と会社が負債を追う羽目になる。
あなた1人だけが幸せになるためのツールなら、.NET FrameworkとMicorosoftSQLServerで十分幸せになれる。
飯ももちろん食いたいが、それを確認するために今のコードを書いているところもなくはない。
これは結局、前職で終わらせ損ねたシステム刷新作業のまずかったところをはっきりさせてくれる。
つまるところ反省の一環。

9月に入ったらトワ様は夏休みらしい。
あわわわわ、別の手段を準備しなきゃ。現実逃避の。

おめでとう。

注:シン・ウルトラマンのネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

シン・ウルトラマン観た。
全然そんなつもりで見に行ったわけではなかったけど、泣いた。
びっくりした。
なんでだろうね。なんかめちゃくちゃ画面に愛情を感じていた。
ウルトラマンがちょこちょこ口に出す人間への思いやりみたいな、
人間のためになんとかしようという姿勢が随所に見えるのね。

人間である自分からすると、人間なんかのために、なわけなんだけど。
でさ、禍威獣がどんどん人間っぽくなっていくじゃんね。
初代ウルトラマン自体全然世代じゃないし、見てないと思うんだけど。
うっすらウルトラセブンのソフビ人形があったことを覚えているから
たぶん平成のセブンは見てたんじゃないか。
や、それでその禍威獣の考えることがさ、ほんと人間の醜いところなわけじゃん。
これは初代ウルトラマンもこんな感じなの?
で、最終的には見た目も完全に人間じゃん。自らの欲望むき出しで交渉事進めるくだりまじ人間~、醜い~ってなるじゃんね。とりわけ権力者、支配者の面々がそういうくだりを担当しているところがさ、
で、また、その交渉の結果、これまでさんざんおんぶにだっこだったウルトラマンを敵とみなすと決まってさ、それがしょうがないものとしてずんずん進んでいく感じがさ、
うわ~人間~、どうしようもねえな人間~ってなるのよ。
そうするとウルトラマンの献身性が光ってよくみえるじゃん。
胸に来るよこれは。

「他人の為」を行動原理にするとさ、疲労感だけが残るじゃん。
残んない人もいるかもしれないけど、あたしは残るのよ。
かといって「自分の為」だと、今はなんにもしたくないってなるのよ。
これは他人を優先しなさいっていうしつけの賜物だと思ってるんだけど、
もうどうしようもなく「他人の為」ってならないと体が動かないのよ。
あたしは。

で、そういう動機はさておき、「他人の為」って自己満足につながらないと
ただただ、不毛なのよ。仕事ってその最たるものだと思っていて、
あたしこじれちゃったから、「他人の為」に仕事するんだけと、
この仕事自体も好きになるのに一生懸命です、みたいな程度だから、
相手の反応にしろ、手取りにしろ、自分の満足感にしろ、
馬鹿馬鹿しくなってくるのね。なってくるっていうか、仕事すればするほどなるんだけど。
とりわけついこないだとかさ、電話が鳴り次いで結局定時で帰れなかった挙句、まだ家で続きをやるつもりのタスクがあって早く帰りて~頭ぼ~っとしてきたわ~ってなってたタイミングでよ。「メールが使えなくなっちゃったんだけど、、」って聞いてきたから、え~なんだろうねって真面目に対応したんだけど、しばらく色々眺めてたら結局メーラーがサーバ運営者から見放されたってだけの話だったんだわ。徒労感もあるし、結局その愛用メーラーは使えないんだね残念でしたって伝えたら、「いや、使えないのは知ってたんだけど、どうにもなんないのかなって(ヘラヘラ)」みたいなことを言い出すからさ。
は?いや、聞き方違うだろ。使えなくなっちゃったんじゃないじゃん。もともと使えてないんじゃん。
こういう聞き方してくる奴の相手するのマジで面倒なんだわブチギレってなったのよ。
かといってさ、電話かけてきた相手に一応気を遣うわけじゃん。
もうそのセリフが飛んできたタイミングからめちゃくちゃ塩対応したわけなんだけど、
そのくだりが一通り終わった後にどっと疲れて馬鹿馬鹿しく思うのね。
「他人の為」に困ってることを解決するべく四苦八苦することが作業の大部分を占めるわけで、
でもそこに費やす時間と労力とを、こういう風に体よく都合よく使われたりとかするわけじゃん。
人間って、自分がやられたら絶対に不快なことでも、簡単に他人にできちゃうじゃん。
平気でそれができちゃうじゃん。あたしも含めて。
だからやっぱり基本的には「他人の為」って不毛で、「自分の為」に集中した方が絶対に満足度高いわけじゃん。

それでもよ、それでも、ウルトラマンは「他人の為」をやり続けるのよ。特に同僚の為に、バディの為に何とかしようとするのよ。しかも異星人だってことをわきまえて、人間に手伝わせるのは酷だってことをわきまえて、一人で何とかしようとするじゃん。胸に来るよこれは。
やめてくれよウルトラマン、人間の為にそんな頑張る必要はないんだと、そこまでして人類を存続させることに意味はないんだと、胸倉をつかんで怒鳴ってやりたくなるじゃん。

ウルトラマンシリーズって自分にとってどういう存在だったかすっかり忘れていたんだけどさ、
どういう目線でウルトラマンを見てたかって忘れつつあったんだけどさ、
ヒーローであって憧れだよね、やっぱ。ごっこ遊びをどれだけやったかはもう覚えてないけど、
そうあれたらいいなって、やっぱり思うんだろうね。今見てもそう思ったもん。
眩しいよ。分かり合おうと歩み寄って、「他人の為」を続けて、
理解できなかった人間と同じように、命を投げ出してもいいって思えるまで好きになれたって、
眩しすぎやで。

 

行く前にさ、この辺のページを眺めたのね。
https://www.cinematoday.jp/news/N0130217
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi20
https://shin-ultraman.jp/about/

ウルトラマンシリーズとの関係ってもう忘れつつあったから、
え、ウルトラマンってなんだっけ?美しいとかそういうものなんだっけ?って疑問だったのよ。
美しかったわ。眩しすぎたわ。ヒーローだった。
あと成田亨さん。同じく商業的な問題で苦しんだ庵野さんがウルトラマンを見てたってこととか、そのリメイクをやるってこととか、その作品にめちゃくちゃ愛情が注がれていることとか、もうほんと、よかったね。ぜんぜんウルトラマンオタクでもなければ、成田さんのことも今回でようやくはっきり認識しましたって程度なんだけど、良かったんじゃない?ここまでされたら、やっぱ喜んでくれるもんじゃないかなあ。
圧巻のテーマソングで古参ウルトラマンオタクを悔し泣きさせたという米津玄師も、異星人としか思えない。
いい曲だなあ。

春一番

※以下、エヴァのネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

メリーが引退するって。

 

 

つらい。

わらべだが引退するのは見聞きしていたけど、メリーは完全に不意打ちだった。

なおのことつらい。

 

 

 

推しってのも、推しか推しじゃないかという二元論ではなくて、
存在を知らないところから、
見聞きしたことある、
目と耳で追いかけてしまう、
推しとは言えないがちょこちょこ追いかける、
日常の1部になっている、
生活に必須な存在、
だとか、そういうグラデーションがあると思うのだけど。
わたしにとって、
メリーのオリ曲や歌みたは通勤に欠かせない音楽だし、
メリーの歌声でしか得られない心地よさがある。
とはいえ、わたしは今の今までメリーのメンシに登録していない。
YoutubePremiumに登録したのは、
いぬいをはじめ、メリーやすいちゃんの歌がWalkman的に聞ける環境が欲しかったからだと以前書いた通りで、メンシにあちこち登録しては生きていけないと自制していた。
もちろん、財源にアテがあるならメリーに毎月課金するのだけれど。
この財源管理は、本当に微妙な問題で、固定費とするか否かはやはり大きなハードルがある。

もちろん出そうと思えばメリーのメンシ代は口座から引き出せはするが、
それをやり始めるとそのほかもあれやこれやと出したくなってしまう。
今の収支ではGoogleと1人に固定費を割くところまでで、毎月の収支はもとより、わたしの心身に至るまで、もろもろの平衡がギリギリ保たれている。この誰もが葛藤する問題において、わたしはメリーのメンシを諦めていた。

最近のメリーの配信アーカイブをちょこちょこ見てみても、どぶ森と雑談や料理が主で、歌枠は通常配信ではほとんど機会がなくなっていた。昨年、イップスに陥ったということだったが、昨年末のにじ歌謡祭でメイフで歌っていたし、新しいオリ曲やカバー曲は気長に待つ構えを取っていた。なにせメリーのオリ曲とカバー曲は何度聞いても飽きないタイプのツボ曲ばかりなので、新曲がないことはほとんど苦ではなかった。
メリーに出会ってからもう2年近く立つらしい。エバで初対面して以来、前職での最後の1年と現職の最初の1年は、ほとんど毎日、通勤の苦痛を和らげてくれた。前職場で負の感情にとらわれがちだったわたしの魂を解放してくれる柊キライを教えてくれたし、その魅力的な歌声とカバー曲でわたしを励ましてくれた。hazeは現職の1年目で不安定なわたしを癒し続けてくれた。朝の出勤も昼の休みも夕方の退勤も、わたしの日常を彩り、少しの非日常を提供し続けてくれたから、私はこのタフな2年をくぐり抜けてこれたと思う。いぬいの曲もすいちゃんの曲も、もちろんメリーの曲と同じく私を支え続けてくれているのだけれど、ことメリーに関してはとりわけ柊キライのカバーに力を貰い続けていることが、いぬいともすいちゃんとも違った特別な形で、わたしの生活に必須な存在たる所以だ。

 

推しは推せるときに推せ、と心に刻んで、上述の収支心身のバランスを決め、ある程度の覚悟を決めたつもりではいたが、そんな覚悟などあっさり砕け散ってしまった。
そんなわたしの心づもりはなし崩しになって、今となっては、なぜメンシに入っていなかったのか、そんな愚かなわたしをいつまでも罵っていたくなる。

引退の理由はメン限で話したとのことで、通常配信では触れないそうだ。
なんてことだろう。
わたしは一体、何をしていたのだろうか。
こうなってしまっては、なにもかも取り返しがつかない。
引退理由のメン限アーカイブは今も残っているそうだ、今メンシに入って、理由を確認することはひどく簡単にできるようだ。
しかし、もうはや、そういうことではない。
6月2日以降、メリーのチャンネルが消えるらしい。

メリーが積み上げた日々が、あらかた消え去ってしまう。

きっと私はもうメリーの引退理由を知ることはない。
もしかしたら、その理由の中には、登録者数や、メリー自身の生活、あるいはやりたいことに関する金銭的な課題が、口にしないだけで、あったかもしれない。
VTuberという存在自体が虚構である。いくらでも理由は想像できる。
今となっては、引退理由はもう何にもならない。

 

もちろん、メリー本人がどういう風に引退を決意するに至ったか、知りたくないわけではない。メン限だけのカバーもあったりするだろう。
その意味では、今メンシに登録することには、娯楽としての価値が十分ある。
ただ、この娯楽には触れない。

わたしは、推しを推せるときに推さないという過ちを犯した。
失敗することには徐々に慣れつつある。
失敗したからには、次に間違えないよう、次の成功の糧になるよう準備することが肝要だ。
そのためにも、今、この失敗を心に刻みつけなくては。

 

アニメ版エヴァで、カヲル君がリリスの前でシンジに捕まり、歓喜の歌をバックにそれまでの絵のテンポからして明らかに異様に長い時間、セリフなく、絵面も変わることなく対峙し続け、その後首が落ちる描写がある。
このシーンを最初に見たのは中学2年生中ごろだったはずだが、あの動きのない時間の意味が全く解らなかった。歓喜の歌は音楽の授業で聞いたことあるけど、最も耳に残るメロディではなく、低音が目立つほの暗い印象を与えるメロディが絵の変わらないまま垂れ流れている状態に、何やら不穏さを感じつつも、何を見ているのか解っていなかったように思う。
手元の本棚で初版発行年数を確認してみると、おそらくその2年後くらいに出版された漫画版エヴァ11巻(2007年6月、高校1年生だ)に、アニメ版ではセリフも動きもなかったシーンに相当する箇所で、カヲル君がシンジに語り掛ける描写がある。
ここのセリフが心底胸に響いて、今現在も、こういった考え方をしがちなところがある。
カヲル君は、最後の使徒として存在する自分にとって唯一の自由が、自らの死に方を選べることにあると言い、シンジに自分を殺させるように説く。
割愛するが、このやり取りと漫画的描写が非常に美しいので、ぜひ漫画版を読んでいただきたくお願いする。
その中で、カヲルが期待するのは、自らを絞め殺した感触とともに、自らの存在をシンジに刻みつけることだと宣う。
「君は僕のことをイヤでも忘れられないだろ?今まで君が失った人たちと同じように」
「たぶんね。きっとそうだ。」

 

わたしは失敗した。
これを忘れないようにするためにも、このままメリーのメンシには登録しない。

せめてもの餞に、ボイスを買おう。ブーストもして。

ありがとう。さよなら。お元気で。これからのあなたも自由でありますように。

 

さあ、もう失敗はしない。トワ様のメンシに登録しよう。