ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

技術書LOVE

技術書が好きだ。

特に、多少古いけれども、良書と評価されている本を探して、手元に置いておきたがる。

 

大学から演劇を始め、演技をうまくやりたいと思って、本を買った。

“役を生きる”演技レッスン ──リスペクト・フォー・アクティング | ウタ・ハーゲン, シカ・マッケンジー |本 | 通販 | Amazon

たしか一冊目がこの本。

演技・演劇に関してまるで知識がなかったし、大学演劇部の顧問もいなければ、俳優養成所に通える経済力もなかったので、本を買った。部活動として公演はさせてもらえていたので、知り得た知識を実践し、周囲からそれなりの反応をもらえる環境だった。曲がりなりにもトライ&エラーを繰り返すことができたことで、ある程度自分の体で遊べるようになったと思っている。感謝している。

 

俳優修業 第1部 | スタニスラフスキイ, 山田 肇 |本 | 通販 | Amazon

この本には在学中に出会った。ネットで、どうやら演技をやるうえで非常に重要な、演技書の決定版みたいな評価を受けているらしいということを知った。中古しか出回っていないようで、にもかかわらず、やたらと値段が高い。それでも何やら役者にとって大事なことが書いてあるとのコメントが多々散見されるので、購入した。第2部にもわかれているらしく、値段が張ったが手に入れた。今でも、この本は私の聖書だ。今のところ、人生で最も価値ある本だ。それでも、たぶんこれからもそうだ。演技とは何をすることなのか、まったく知識がなかった私にとって、目から鱗の内容だった。この本を買ったのは数回の公演をやった後だったが、その都度「失敗した」ということや、どうすればよかったのかわからなかったことについて、あらかた、その対応方法が、その瞬間の私の内面と併せて書いてあった。これにはびっくりした。あんなに抽象的に感じられていた演技というやつや、ぼんやりしていた演技中の私自身が、私の演技を見ていない人に、こんなに妥当に・詳細に分析されているとは思わなかった。本を読み、書いてある通りに自分を制御しようと努めた。自分をどうやって導いてあげればよいのか、ある程度要領がわかってきて、ようやく演技・演劇がめちゃくちゃ面白くなった。本に書かれた内容は、その後の演劇仲間との出会いの中でも大いに生きた。

 

古い技術書を好きになったのは、この本から。味を占めた。

 

卒業して、闇雲に入社した就職先の知識がなくて困った。

さらにおじいちゃん先輩に「コンピュータの本質って?」「半導体のしくみを知らないの?」「あぁ、わかってないんだね」と焚きつけられて、目の前の仕事を片付けるべく、情報処理の学びなおしをするべく、古めかしい本から最新の本まで、情報処理・電気・化学他、興味があることがらについて、ぼんやり気になっている・これまで受けた教育の過程で気持ち悪さが残っていることが書かれていそうな本を収集していた。尚、している。案の定、虫食い・積み本化している。

社会人になって半端に増えた可処分所得を背景に、やり場のないストレスのはけ口の一端が、技術書の収集になっている。

買った技術書の大半は、優秀そうな個人の方のブログで引用されているものや、amazonレビューの良さげだというコメントを信じてやたらめったらに集めた。買うことがストレス解消の一端を担っていたので、ほとんど迷いなく買った。

レビュー通りの良書もあったので、これまでやってきたことをまとめていくつもりで、ブログで振り返ってみようと思う。

あこがれの退職記事

今週のお題「告白します」

 

退職した。

ようやく実現した。

2019年に掲げた抱負としては、キリのいい2020年に転職したかったが、能力不足とCOVID-19と、諸々を言い訳に実現できなかった。

退職記事を多くの人がネットの海に書き投げているので、その日が来たら自分もそれに倣って書きなぐろうと常々思っていた。

今どんなに気分がいいかとか、職場のこんなところが性に合わなかっただの、組織の思考停止ルーチンがいかにあほくさかっただの、そういったことを自らの苦しみと併せて片っ端から吐き出すその時を待ち望んでいた。

休憩時間に眺めていたTwitterでも「退職することであらゆるしがらみから解放される瞬間が気持ち良すぎてやみつきになる」というような投稿を見かけ、自分の退職もそれはそれは気持ちいいものだと想像した。

勤務年数はたった数年であるが、私の目の前で「できません」を連呼し続け(いかなる作業にも第一声にその台詞を吐き続けるその姿勢はもはや天晴。どうか貫いてほしい。)、私の課題を増やしてくれる個人・組織に対して、変に負けず嫌いな性根でもって愛情と憎しみが大きく膨らみ、一時体調を崩す羽目にもなった。(まさに自業自得。自分の肉体に失望はした。反省はしている。)

必ずここを出ると決めてからは、自分の手元にたまって腐っていく哀れな課題たちをのみ慈しみ、自分と周囲の人間をずたずたにしながら、自らの目指すところへ向けて片を付けていった。

退職が決まってからというもの、一体どれほどの快感が得られるものか、楽しみで仕方なかった。

退職日、帰宅直後に寝た。

退職翌日、一日中寝た。

退職翌々日、一日中ラノベを読んだ。

以降約2週間、現在に至るまで、退職したことや、退職日まで携わっていたものづくりのことは、すっかり頭から離れて、何の感慨もない。

気怠かった頭と肩が150gくらい軽くなった気はしている。

やっぱり何の感慨もないことはない。嘘をついた。多少はある。

でも、思っていたほどではない。すっきりさっぱり、果てしなく気持ち良いものだと思っていたが、別段格別の快感というものはない。ほどほどに残っていた有休を切らせていただいたので、まとまった時間って良いよなって思う。

たぶん燃え尽きている。

もちろん大変世話になった。おかげさまで、あやふやなまま受けた高等教育でも、それなりに生きていけそうな能力を身につけられていそうだという希望を持つこともできた。そのお返しもいくらかできたつもりである。

お得意のゼロイチ思考で、ぼんやりしていた業務を手近なところから仕分け、片づけた。

誰もが嫌がる新しい顧客も、ある程度は捌けるよう手伝った。

実家暮らしが多いからか、私の部署と比べて所属人数が桁違いだからなのか、多くの同僚が仕事や職場に対して、なぜそんなに他人事でいられるのか疑問で、うらやましかった。もちろん私の人生設計が破綻してるとか(また嘘をついた。そもそも計画されていない。)、仕事の仕方が下手糞すぎるともいえる。

状況的にも、立場的にも、八方ふさがりになりがちであったが、よくあがき、よくこらえた。

数年と続いた苦しみからようやく解放された。

自分によくやったと言ってあげよう。

それだけである。

書き出していて気付いたが、要はもう思い出したくないらしい。 

何もかも能力不足だった。自らのツケ払い。未熟だというだけのこと。

仕事を片付けるために、諸々の実務的なテクニック・世渡りを教えてくれたおじいちゃん先輩はじめ、先達諸氏には感謝している。

引き続き生きていくために、ありがたく、盗ませていただいた技を行使していきたい。

今はできる限りとっととあの世へ行きたいと思っている。

人生が辛く、苦々しく、悲しみにあふれていることに関しては、ずいぶん腑に落ちてきた。

ヤマシタトモコ作「違国日記」の槙生ちゃんは「せっかくなら苦しんで生きたいでしょ」と言っている。この姿勢を見習っている。

それでも、次の組織ではもうちょっと気楽にやれるようにしたいと思っている。 

脇へ退けてずいぶん経つので若干埃が積もっているが、やれるところから私の「好き」を再開する。

前向きで非常によろしい。

 

 あ~疲れた。