ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

むっつり助平

気になるタイトルだった。
ブコメだということだけは知っていた。
タイトルだけだとさっぱり雰囲気が分からなかった。
気になっていた。
どうやらそこそこに有名な作家らしかった。
魔法先生」がタイトルに入っていると気づいてなかった。
表紙にでかでかと書かれてある文字がラブコメを手に取る言い訳として十分すぎた。
高校生にもなったんだから、ラブコメの一冊くらい買えなくてどうするんだみたいな、同級生のあいつは小学生でいちご100%持ってたしな、ゼロの使い魔もマンガじゃないけどたいがいだったしな、とかなんとかそういう。
今思えば、
今思えば、、
あれ、順番が違ってるような。
いや、あってるな。
いちご100%ローゼンメイデン神様家族ゼロの使い魔、、、、
いや、
いちご100%ローゼンメイデンゼロの使い魔神様家族、だったような、、
いや、えー、、、、
どうでもいいか・
いや、よくない。
大事なことだ。
小学6年~中学~高校と、少年バトル漫画と少年ラブコメを摂取し続けて、何とか心のバランスを保っていたように思う。
ナルトにしろ、エヴァンゲリオンにしろ、当時の人生観や姿勢に与える影響が比較的大きい作品とは違って、ラブコメラノベはほとんど完全なファンタジーだった。大きなストレスがかかると逃避行動をとりがちな私は、ぼやけたアイデンティティや、思春期の人間関係、高校受験などのストレスフルな日々の重圧に耐えるべく、ラブコメを読んだ。あるいは妹の部屋にあった少女漫画を読み漁った。恋愛を題材にした漫画は、空想、妄想がちな私に多くの安らぎを与えてくれた。
気持ち悪い?いや、安らぎだが?
その中でも、「魔法先生ネギま!」(以下、ネギま!)は、少年バトル要素とラブコメ要素のバランスが群を抜いて良く、好きです。ネギま!に初めて触れたのは確かシャフト版アニメの「ネギま!?」ですが、これが大変コメディとして秀逸で、そのくせ、原作とはまるで違うなどと話題だったので、これは一層、原作を知らなくてはと、本屋に行く勇気が湧いたのでした。
少年バトル要素なんですけれども、赤松先生はその、燃える設定というものを本当によくご存じだというか、アツい展開を大変丁寧に作ってくだすっていらっしゃるので、読み手としてもついていきやすく、それはそれは気分がいいんですね。少年ジャンプではよく強さのインフレ現象が取り沙汰されますが、ネギま!においては、ラブコメとの二人三脚がされていて、それがまた絶妙にいい塩梅でインフレ現象を緩やかにしてくれているように思います。私がリアルタイムに出会った少年バトルものだと、まだまだ強さのインフレ現象は割と当たり前というか、テニスの王子様はまさにそれを逆手にとって快進撃を続けている作品と思いますが(無論、御姉様方による巨大な岩盤ファン層あってこそとも思っていますが、それはさておき)、何分、今よりもっと強い敵が出てこないと話が終わっちゃうっていう大前提がそもそもあるし、ある程度仕方ないところがありますよね。できる限り長く連載しようとか、そういうことを考えるなら、まさにそういうバトル漫画が抱える短命な性質を、読者を惹きつけ続けるために、いかにほかのトピックスで魅了していくかというところが腕の見せ所なんじゃないかと勝手に思うわけですが、あれ、バクマン。に描いてあっんだったかなこれ。まあ、そういう点で、ネギま!のバランスは、私にとって非常に魅力的だったと、こういうわけです。私は中でもタカミチの戦い方が好きで、彼は居合い拳という技でもって、拳圧だけで大型ロボットの装甲をぶち破る最高にクールなメガネキャラなのですが、この居合い拳が、まさかサッカー部の部室に転がっていたグラップラー刃牙で解説されているとは思わず、その時ばかりは、うひゃあ、こいつはかっこいいやと、改めて思った次第です。ああ、そうすると時系列を思い出しましたね。
いちご100%ローゼンメイデンネギま!?ゼロの使い魔神様家族魔法先生ネギま!、、ですね。

タカミチの咸卦法を授業中によく練習していました。確か中学2年生くらいだったと思うけれど、あまりに心のバランスが悪すぎたからでしょうが、ほとんど忘れてましたねこれ。何もかもが不愉快だったけど、その時の僕は忍に成りきっていたので、心を空っぽにして耐えていました。痛い?そうですね。それはそう。しかし、よく頑張っていた。本当によくがんばっていた自分。八方塞がりだったからこそ、多くの作品に心動かされ、大切な作品に出合うこともできたと思うと、なんというか言葉が出ませんね。数々の作品を作ってくれた作家の皆さん一人一人にあの世でお礼回りをしようと思います。
ところで、今、あの世に行くことを当たり前として書きましたが、これは実際そうだからですよね。だれもかれもが等しくいずれ死に至ることになっています。しかし私はやはり死が怖い。まだその事実が分からない。死ぬことで自分の何がどうなるのか。意識が途切れて、ずっと眠ったままみたいになる。そういう風に想像している。私が恐れているのは、その後。私の意識が途切れて、その後。世の中は何事もなく回り続け、人類はいずれどこかで滅びるでしょう。それでもなお宇宙の時間は流れ続けて、私たちが生まれて、自我を獲得して、先人の書置きで知った通り、何十億年、何千億年と、時間は流れ続けるんでしょう、私はこの事実がとても恐ろしい。私は私でなくなって、それっきりだというだけですが、それでも私は、その後のことが大変恐ろしくてやりきれないのです。人類が文明を発展させ、野生動物とは一線を画する繁栄をし始めてから数千~数億年、それよりもさらに途方もない時間が、果てしなく流れ続けるなんて、とても恐ろしいとは思いませんか。ネギま!?で出会ったエヴァンジェリンは、松岡由貴さんの声がツボだったというところから始まって、彼女のキャラクター造形、永遠を生きる吸血鬼としての在り方に強く惹かれた。彼女は、私の恐ろしさを解さない。永遠を生きるということについて考えさせてくれたキャラクターの中で、最も愛着があります。そんな彼女が、ネギま!の続編「UQホルダー」で、永遠の命について更なる思索を与えてくれます。赤松先生はこの続編においても抜群のバランス感覚で少年バトル・ラブコメを両立し、さらには、死生観という哲学の要素を盛り込んで、戦いと恋愛をさらに味わい深くしてくださいました。UQホルダーの最新刊が発売されましたが、いよいよ物語の大詰めとのことで、各ヒロインと主人公刀太の関係が作品としての仕上げへ動いています。まさかサンデーでこんな表現が、、なんて思いましたが、瀬尾公治先生の涼風を思い出しました。そういえば、サンデー紙面には久しく触れていない。

この26巻で、ついに、私が恐れている永遠という概念から生まれる恐怖が、ありありと、私も恐れてやまない点について明快に描写されました。ヒロインの一人、夏凛の物語だけでも、私は十分、赤松先生についてきてよかったと思えるわけです。そしてこの永遠の恐怖こそが、不老不死を背負ったファンタジーな登場人物たちによる恋愛を、極めて微妙かつ繊細な、いじらしく切ない、それでいて歯ごたえのある作品に仕上げてくれています。私は、ヒロイン夏凛が手に入れる一匙の幸福を、それこそがまことの、誠実なる人間の喜びの一つであると確信しています。赤松先生に栄光あれ。
そういうわけで中学生のころから私の心の支えになってくれていたネギま!シリーズが、どうやらあと2巻で完結するとのこと。次の巻が発売されるのは11月らしい。最終巻は来年ですか。作品の完結もまた、人の行く末と同じく、避け得ぬものです。しかしながら、作家が生み出し続けることでのみ、担保されるゴールであります。赤松先生のご健勝とご多幸を願って、完結までぴったり後ろをついてゆきます。そうして、私の愛するエヴァンジェリンの至る果てを目に焼き付け、また一つ、私は自らの死に向き合うことができるでしょう。永遠が続く恐怖を近く感ずればこそ、今を生きる儚さが眩しく感ぜられ、一層、今を大切にしようと、思われるはずなのです。