ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

忘れていく

ここ1,2ヶ月何してたんだっけ。
仕事をしていた。
何してたっけ。
えーーーー、、、、
何してたっけ?何してた?っけ?
なんか、、色んな、、、新しい刺激が、、あった気がしたような、、
これと言って、、特になかったような、、、あったような、、、
思い出せない、、、、、
小さいながらもちょっとした機能を1から一人で形にすると気分いいじゃんね。もうすでにあるコードをメンテするのは本を読むみたいなそういうスタンスになりがちだけど、自分でオチを決めて形にしていくのは演出目線が入ってくるからあれやこれや思い付きを片っ端から実装したくなる楽しみあるよね。あんまり寄り道するとそれはそれで安売りになるわけなんだけれども、そもそも開発と保守の線引きがあいまいだと、開発時点である程度保守作業の先取りみたいな、将来客先からつつかれそうなところをできるだけ塞いどこみたいな、意地みたいなそういうのあるくない?ただあんまり妄想が膨らむとキリないから、客先へ宣言した以上のことはサービスサービスゥ!ってミサトさんに言ってもらうわけです。自分で1からスタートできるってめっちゃ気楽。既存のコードをいじるにあたって、既存の文脈を正しく拾えてますか?って疑問が付きまとうわけだけど、それって開発にかかわってないとただただ不安要素として残るばっかりで、保守作業中にはいいことないでな。そういうことを延々行き来しながらアウトプットを続ける時間が長かったように思います。なので疲れた。どっと疲れる。
アウトプットは開放感なんだけど疲労感と引き換え。何のためのインプット作業か?アウトプットのため。何のためのインプット情報か?制約を増やすため。何のための制約か?考える方向を狭めるため。プログラミングにしろ創作にしろ、「なんでもできる」ところから制約して制約して制約して、線引いて線引いて、枠組みして、あーじゃあおおむねこういう感じで、って一個作って、あれこうじゃないとか、もっとこうしたいとか、そういうことが、前の職場よりもできているので、ああやっぱり転職してよかったとしみじみ思うわけです。この一連の出来事が自分1人で完結できると、外的ストレス無くいられるけど、それでいいか?というと、いや、やる気がでないし、ある程度はほかの人と協業したいというか、誰かの為にという大義がないとめんどくさいで終わっちゃうじゃんというか。なんといっても、あたしがまだ、自分の為にがんばるってことができないんだと思うけど、だからこそ、こうしたいと思っている人とか、面倒事を抱えている人の話を聞いて、もうちょっとマシにならんもんかと、ああこうしてあげられたらいいのではと、思い立ってようやく、重い腰が上がるようで。だからあたしは、作家ではなくて、演出家ではなくて、演者なんだろうと思う今日この頃。自分のことじゃないから、あんまり記憶がなくて、自分のことじゃないから、あんまりうれしさが残ってなくて、どうしたらいいかと悩みつつ、手を動かしつつ、試行錯誤している時間の味を思い出してしまったから、なかなかやめられない。そうです。だから稼げないんです。でもしょうがない。こうやって1日1日過ごすほかに、やりようがない。もう少しマシにならんかと、自分のことを他人のついでにちょっと思って、そういう過ごし方を繰り返している。