ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

大掃除

年が終わろうが開けようが、年々どうでもよくなってきているというか、
また1年が溶けてしまったという感覚が強すぎて、もはや向き合いたくない。

やりたい欲求が日々の喧騒と社会の荒波に呑み込まれていく感じで、それなりに抗うんだけど息継ぎができずに溺れる一歩手前というか。

あらゆる出来事に関して、結局、一回は体験してみないと、その状況やその問題やその対応をあとからあとから振り返っては、こういうことだったのか間違っていたこうすればよかったと後悔するばかりで、過去の出来事に対してあとからあとから要求が膨らんでいく。

つまるところ想像力が足りない。よくも創作活動などと言えたもので、だからこそ私はここにいるんだろうとそこに関して諦念もある。

行き当たりばったりなのだなにもかもが。計画するということを知らない。投げ出してしまっている。その日その日を乗り越えていけば前へ進めるなどというのは甚だ思い違いで、浪費に過ぎないということをもっと骨身に刻み込まなくては、一体何が成されようというのか。
使う頭がないなどというのはもはや戯言である。では死ぬか?というだけのことである。
死ぬというのは大げさでもなんでもなく、わたしにとっては10代の在り方に逆戻りするということで、それは死んでいるのに変わらないということで、なにもかもつまらない日々へかえっていくことが、不愉快で、不愉快で、たまらないから、それが嫌だから抗っている。しかし、志が、信念が、大望がないがために、行き先が定まらず、勝手に溺れていくばかりだということである。

年末に手掛けたことの殆どがそういう性質をはらんでいた。年末といわず、昨年のすべてといっても良い。あなたが働いている職場で動き続けているシステムの中に1つや2つくらいなぜかよくわからないが存在するメニューやよくわからないvbaなんてものが間違いなく転がっているはずで、そういったものの殆どがそういうぼんやりした性質をはらんでいるがために、ほとんどの人から必要とされなかったり、運用されずに停滞していたり、開発がとん挫してしまっているツールだ。システムの大きな流れに乗り切れないが、誰か1人2人の面倒くささだけを取り払うために、金をかけまいかけまいと、格安で奴隷に拵えさせたものだ。奴隷商からしてみればそういった類の仕事は、奴隷を寝かせておくよりはましで、なおかつその客が太客の伝手であれば、なおのこと引き受けるに値する仕事だ。

ITという七面倒くさい代物はいつだって大きな取引の為にあるもので、間違っても片田舎の格安PC1台で完結するような作業のためには存在しない。大きな取引は大きな金が動くから大きな取引なのであって、そもそも大きな金がない場所に、システムは存在しないと言ってよい。4GBメモリのi3のPC1台は、1人のユーザにしか需要がなく、そこでシステムと呼ばれるものが動いていようがそれはシステムではなく、つまるところただの道具と道具箱だ。

では道具と道具箱にどれだけ金をかけるかという話だが、大概の人には納得してもらえると思うけれども、ショベルカーやタンクローリーを使うわけではないということを念頭に置けば、その額は知れている。個人が気に掛けることは道具箱に入っている道具の取り回しが良いとか、その個人が使いやすいと思えるカスタマイズされた微妙な機能で痒い所に手が届くかとか、ホームセンターで買ったやつよりも100均で買ったこれのほうがいいなとかそういうことになる。これはまさに奴隷の仕事で、奴隷を買った当人からすれば、土埃にまみれていれば奴隷が磨くのが当たり前、使い勝手が悪ければ奴隷に仕立て直させるのも当たり前、道具なのだから使ってみてようやく使い勝手というやつがわかるんだあとからあとからこうしろああしろと奴隷に注文を付けるのは当たり前、金は奴隷商に払ったのだから、奴隷は黙っていうことを聞けばよい、とそういうふるまいである。

このユーザと奴隷に関して、想像力がないと言い切ってもいいし、経験が足りないともいえるし、すべて当人の能力不足と総括もできる。
じゃあタンクローリーを使えますか?とか、ショベルカーだけでは済まない規模にしたところでどれだけ金が動きますか?というところで話が終わる。なにもかも、その環境に適した問いかけではないからだ。片田舎で道具箱1つもって暮らしている人達に、ITが求められていることがそもそもそんなに無いというだけの話である。


なぜ抗っているのかしら?もっと違う景色が見たいと思っている。クソつまんないゴミ作業をとっとと片付けて、興味のあることを延々やっていたい、自由を手に入れたいと思っている。その一心である。
しかし、掃除というやつは毎日毎日やるもので、さらに環境を整えるためであって、能力開発のためではない。いくら必死こいて磨こうが、便器がキュッと音を立てるだけで、それ以上に何かが得られるわけではない。
しかし、当座の金を得るために、掃除をやらないわけにはいかない。客が少しITをかじっているばかりに、便器の形がどんどん変わっていく。そんなにでかい糞を垂れるなら最初に言っておいてほしい。癖で尿がそんなに遠くに飛び散るなら先に言え。便器の外に飛び散った糞尿の始末は奴隷にやらせれば良いというところで考えることをやめているのか、そもそも便器の外に自分の糞尿が収まっていないのを自覚できていないのか、その辺は知ったことではないが、何しろ糞尿に変わりないので、とっとと片付けたいとしか思っておらず、奴隷も奴隷で、客の下事情について考えることをやめてしまっている節がある。
いっそおしめをつけさせてもらった方が、始末がシンプルでいいのだが、それも結局、サイズだの、蒸れるだの、メリーズがいいだのパンパースがいいだの、ブリーフだのボクサーだの、一緒といえば一緒である。

 

昨年はストレスの形を変えることに成功した。
掃除に疲れて能力開発も糞もなく日々が終わっていくのに疲れるようになった。
掃除の手際を良くするべく、掃除のしやすいように便器だの客の癖だのを見極め、整えていくことが仕事らしい。


露骨に気分が上下するようになってきた。
気圧変化の影響をもろに受けるようになってきたと思いたい。
変化する間、特に気圧が上がっていくのに弱いらしい。
気怠い1日だった。
だるいわめんどいわヒトカラ中にどこかの客室のキッズがうるさいと怒鳴るわ、気怠い1日だった。
オケ屋以外で叫び倒して良い場所を用意してくださいよキッズ殿。
え?あたしじゃない?だったらいいの。素敵なカラオケライフを。