ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

生活習慣を変える

週1回、1時間半。

ここ半年くらいは1時間。

いつから習慣になっていたかはもう定かではない。
いつからだっけ。

授業の合間に通っていたことはもちろん覚えているが、
それでもどの程度だったかは覚えていない。
そのときにはすでに週1回だったかもしれないし、
週2回だったときもあった気もする。
財布を眺めて月に1回にしておこうと決めたような気もする。

思い出せない。
なんとか思い出したい。
ググった。

。。。無い。
お店の歴史は残っていない。

店主が記録しない限りは、なかなかお店の開店や閉店はインターネットに残らない。
大抵のお店はどこも競争状態で、どこかが閉まれば、近場の店に人が流れるだけのこと。
店舗の跡地にはすぐにまた別のお店が入ってきて、
もともとのお店が何だったのか、
いつから開店して、いつ閉店したか、
ほとんどの記録は残らないまま。

そこそこ名前のしれたチェーン店だったし、残ってても良さそうだけど。

。。。
あ〜あった。

レンタルショップの開店と閉店を追いかけるという奇特な人のブログによれば、
前身の店がオープンしたのは2016年3月1日らしい。
https://cd-open-close.hatenablog.com/entry/20150621/p4

ありがてぇぇ。

カラオケスタジアムが開店したときには、派遣だったということだ。
原付きで通勤していた。
まだシダックスに通っていた。
通勤経路上にあったし、北口唯一のカラオケ屋だったし、
帰りがけに一杯やってくみたいなかんじで良かった。

カラオケスタジアムに原付きで行った記憶は、、ないような。
GEOだったときなら原付きを停めた覚えがある。
車で通いだしたのなら、、、2017年よりも最近で、、
長いと6年弱くらいかしら、、、
そもそも芝居の稽古をしていただろうし、
そんなに頻繁に、、、ん〜、通っていた気もする。
コロナでどうこうという話になってから、
ヒトカラしかしないけど不安で1ヶ月くらい自粛した覚えがある。
あの期間、息苦しくて頭がおかしくなりそうだったからよく覚えている。
そうすると、少なくとも2018年ころには週1頻度だったと思う。
うん、多分少なくとも5年くらいは週1で通った。
同世代のみんなが酒とタバコにかける金額を、そのままヒトカラに充てている。

カラオケスタジアムができてからしばらくして、
シダックスは閉店した。
おそらく客層の大半を占めていたであろう大学生からしても、
数百メートルの差が非常に大きかったのだろうと思う。
あたしもそうで、オケ屋がめちゃくちゃ近くなったことで行動パターンが変わった。

自室の次に安心できる場所だった。
部屋の一部といっても過言ではない。
実質、メンタルバランスを整えている習慣だし。
コロナ禍で閉塞感漂うなか、一層、
なくてはならないというか、
あって当たり前の場所になりつつあった。
舞台を除いて、叫べる場所は多くない。


しかし、全然気づかなかった。
先週も行った。
どこかに張り紙がしてあっただろうか。
気づかなかった。
年始に職場でコロナが流行って、
1月は2回しか行っていない。
ヒトカラ初めはなんだか喉が開かなくて、
体の感覚も若干忘れかけていたし、
年末年始に引きこもっていたからかしらとか思ったり。
先週もぼちぼちで、まあまあゆっくり戻していくかんじで、と思っていた。
来週頃には、そこそこ戻ってくるでしょうと思っていた。

いつも案内してくれる奥の手狭な部屋と、時々案内される若干広い部屋と、
照明を点けないから、大きな画面が部屋を照らしている光景と、
柔らかいけど固くないわけではないソファーの感触と、
いつも飲んでいたカルピスウォーターの味を、
まだ覚えている。

確かに客足はめっきり減っていたと思う。
それでも最近、コロナは5類になるという話題が大きく聞こえてきて、
街の客足もだんだん戻ってきていると噂で聞いて、
すいちゃんのライブも声出し解禁されていて、
これからという感じだったと思うんだけど。
やっぱり無理だったのか、店長さんが他のことをしようと思ったのか。
カラオケストリートは閉店しました。

めちゃくちゃショックで、
呆然としたまま、
南口に次の部屋を探しに行ったけど、
気が滅入ってばかりで、帰った。
800円の日本酒をちょっとやって寝た。
これはほとんど1時間の部屋代だ。

 

リニューアルオープン!って、また始めたっていいんですよ!

 

大変お世話になりました。

ありがとうございました、さようなら、と言えなかったのは心残りだけれども。
仕方ない。そういうもんか。