ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

一本釣り

タイムラインに釣られた。
10人をなぎ倒しながら仕事を進める1人はクソとか。
能動的に生きるなんで言葉に騙されるな、ただ生きていることが素晴らしいんだとか。
「ただ生きている」ことがどれほど難しいかを忘れてしまうほど、経済力を得て、社会的な立場を得て、満足を得ているのでしょう。
あるいは、そんなことはお茶の子さいさいと、「ただ生きること」に困らない環境に生まれ、育ったのでしょう。
どんな人にもその人となりが出来上がるまでの背景がある。
全く想像もつかない環境で育った人同士で共同生活をするのも、小学校まで。都市に生まれたか、地方に生まれたかですら大きく異なる背景は、中学、高校、高専、専門、大学、就職と、緩やかに分類され、整頓されて、広く見れば個性的に、手が届く範囲では同質的に、ますますはっきりと差別化されていく。
人間も動物で、一部の強い個体と、一部の弱い個体とがいて、出し抜き、出し抜かれ、石器時代から大して社会の成り立ちは変わっていないはずで。
できる限り同質の個体で集まってチームを作り、周辺のチームと競争していれば、それなりに居心地が良いのは当然だろう。同質なのだから。背景が似通っていれば、考え方も、感性も、大きくずれることもなく、不和も少ないだろう。
某さんがいつも不機嫌そうだの、隣のチームに比べて関係性が悪いだの、リーダーの誰それさんの態度が酷いらしいだの、チーム内の環境がくすぶるのは、何もかも、チームの環境がメンバーの誰かに合っていないからだろう。すべてのメンバーがぴったりな環境なんてまずありえない。
こんなことどこにだって書いてある。誰もかれも知っているし、わかっている。
それでもチームに不和をもたらすのは、自らではないに違いない、チームの誰かであってほしい、チームを率いるリーダに問題があってほしい、そう思ってしまう。
そんなにチームに不満があるなら、環境を変えれば良いじゃないか。無理したってしょうがないじゃないか。チームに属するからには、自らも、自らの行動の結果もまた、他者にとっての環境の一部だとわかっているのか、いないのか。環境を変えることの難しさも、その個体が育った環境による。多数派でいられるか、少数派になるかも。個人の能力・資質は遺伝子から。なにもかも環境。あら、スタニスラフスキイがお好き?ええ、とっても。
背景が違う他人に伝わる言葉もそう多くは無いが、それでも他人に言葉を投げかけることは、同質の個体で集まりたいからなんだなあ。
異質な個体と社会を築くことの難しさは、多数派が決めることだろうと思う。けれども、自分が多数派か少数派かなんて、場所と時間の切り取り方でいくらでも変わってしまうし、だれもかれも、無自覚でいられるんだなあ。
選択肢があるって素晴らしいこと。
なんでそんなに遠回しな言い方するのって、都会と違って、他に人がいないからよ。
なんでそんなに説教みたいな言い方するのって、上司のあなたたちが理解してくれなきゃ、行き詰まってるあたしが、チームが、苦しみから救われる希望がもうないからよ。
なんでそんなにできないのって、これまでの時間の使い道があなたと違いすぎるからよ。
なんだそれだけのことで辞めるのかって、あたしにとってはそれだけのことだから辞めるのよ。
辞めて、お互いに平和を手に入れることができたでしょう。
さんざんやりあって、すっきりさっぱりしたよね。お互い悪くないし。お互いもっと気の合う仲間に出会えるといいね。

あたしを釣った言葉は、これから社会を作っていく人たちには素直に受け取ってほしい言葉。これまで社会を作ってきた人には届かない言葉。
それでも、チームの環境を改善しよう、なら、世代を超えて取り組まなくちゃ。
そんな素敵な環境が本当に欲しいなら、まずあなたが、世代を問わず、1人で仕事をしてるその人から無理やり仕事を取り上げて、他の9人に配り歩くところから始めて頂戴。若い部下を抱える自分の親と議論して頂戴。役職も年齢も関係なく、声をかけて頂戴。仲間が増えるまで続けて頂戴。素敵な環境が手に入ってもやめないで続けて頂戴。

できなきゃチームが負けるだけ。できなきゃ仲間がいなくなるだけ。できなきゃチームでいられなくなるだけ。できなきゃ生きていけないだけ。
環境が悪いなら、無理をしてようやく、ほしいものがちょっとだけ手に入るくらい。

無理じゃなくて没頭できる何かを見つければ?それを見つけられるってことはもう環境が良いってことよ。

あたし、今その言葉はいらないわ。雑魚だもの。

無理しないでなんて、そんな無責任な台詞もないわ。