ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

命綱

※以下、私自身の不安を思い出話と一緒に吐き出したものだが、不用意に貴方の不安を煽るかもしれない。留意されたい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=yL1HVCM5L8A

衝撃的な映像だ。

ワクチンはまだ打てていない。

web予約の枠から零れ落ちた。

 

2年前の今頃、救急車を呼んだ。
頭が痛くて、痛くて、死ぬんじゃないかと思ったから。
1回目は群発頭痛ですよって診断されて。
1週間経って、また頭が痛くて、初めて過換気症になって、
手足が痺れて動かなくなっていく感覚なんて初めてだったから、
頭痛もひどいし、もう一度救急車を呼んだ。
2回目は脳梗塞だと診断された。
初回のMRIは、あんまりはっきり映らないらしい。
入院してしばらくして、左腕が痙攣し始めた。
震えが止まらない。完全に自分のものではなくなっていた。
血液を溶かすために点滴を始めた。
もうあんまり覚えてないけれど、
そのうちに舌が痺れてきて、呂律が回らなくなって、
口に入れた食事が勝手にこぼれ出しててくるようになった。。
股関節の動脈からカテーテルを入れて、
脳の血管の中に造影剤を入れつつ、頭部CTを撮ったあと、
丸一日起き上がってはいけないと言われた。
2、3日点滴で血液溶解剤を入れ続けた。
起き上がって、左手をリハビリし始めて、1週間くらいで大体回復した。
血液溶解剤の量も減らして、飲み薬に切り替えて、1週間後の夜、
じわじわ左半身が痺れてきたことに気づいた。
左足のつま先から、左手の指先から、じわじわ、じわじわ、痺れてきて、
また、過換気症かと思って、気づかないふりをしたけど、
顔の左側がじわじわ、じわじわ痺れてきて、これは、やばいと思って、
ナースコールを押した。
痺れが強くなってきて、顔が動かせなくなってきて、呂律が回らなくなってきて、
ただただ、痺れが強くなってきていること、口が回らなくなってきていること、
血を溶かす薬を点滴してほしいことを、深夜に駆けつけてくれた2人の看護師さんに、
何とか冷静に、伝えて、伝えるしかなかった。このままでは死ぬと思った。
まだ死にたくないと思った。主治医の先生に連絡を取っていて、
許可が出たら点滴が始められるというようなことを言われた気がする。
このまま死にたくなかったから、さらにしびれが強くなってきていること、
もう左足の太ももあたりまで痺れてきていることを、もがいた。
体がゆっくり、じわじわと、自分のものではなくなっていく感覚が、
たまらなく、恐ろしく、しかし、どうすることもできなかった。
もがき続けて、連絡が取れたと、点滴が始められると、看護師さんが伝えてくれて、
安心したと思う。
気が付いたら朝で、痺れもすっかり取れていて、何事もなかったような風に、体は起き上がった。
昨晩、死ぬ思いをしていたけれど、点滴を打ってもらえると伝えてくれていたし、
薬は効くものだと信じていることもあって、喉が痛いときには、風邪薬が効くなあと、そのくらいの気分でいた。
深夜に駆けつけてくれた看護師さんが、様子を見に来てくれて、
痺れもなく、状態が良いことを伝えると、私よりもずっと、ずっと深く、安堵していた。
その姿を見て、一瞬、何が起きているのかわからなかったが、
ようやく、ああ、命を救ってもらったんだと、実感が湧いた。
命を救う医療は、当たり前にそこにあるのではなく、医療従事者の人生そのもので成り立っているのだと、
完全な赤の他人の私の病状に、心底安堵してくれたその看護師さんの姿を目にして、やっと理解が追い付いた。
さらに2週間後、いよいよ退院となって、タクシーを呼んで、大量の宿泊荷物を、台車を借りて運び出し、
本当にありがとうございましたと主治医の方に、ナースステーションの皆さんに頭を下げて回って、
荷物をトランクと座席に詰めて、住所を伝えて、見慣れた道を窓から眺めていたら、涙が出てきた。
救急車を呼んで、入院して、リハビリして、退院するまで、毎朝毎昼毎晩、誰かが必ず様子を見に来てくれて、
いつでも優しく、看病してもらっていた。
誰もかれもが、自分のためにこんなに尽くしてくれるなんて、正直思ってもみなかった。
タクシーを降りて、運転手さんが荷物を玄関まで運んでくれて、さらに泣いた。
手元にあった1000円も受け取ってもらえずに、そそくさと立ち去られ、荷物を部屋へ押し込んで、ひとしきり泣いた。
医療従事者の皆さんに、本当に感謝している。
未だに感謝している。

私は常にあなたたちを尊敬している。

何になるわけでもないが、あなたたちが今日もなんとかうまくいくことを祈っている。

 

私に次はあるだろうか。

次は生き延びられるだろうか。

次は誰だろうか。

次は私だろうか。

もう、救急車は来てくれないかもしれないという。
もう、ベッドがないかもしれないという。
もう、死の瀬戸際で助けは呼べないという。
こんなに心細いことがあるだろうか。
もし発症して、合併症など起きたら、

私はこの映像の患者さん同様、助からないのだろうか。
仕様が無い。こればかりは仕様が無いのだ。
なんて、ことだろうか。