ふらふら生きつつふらふら書く

情報処理技術、演劇、仕事、生活、他諸々、頭の中を整理するために書き出します。

配信を開始するVへ

準備が終わり、
あとは配信開始ボタンを押下するだけになったとして、
決してそれは当然のように始まるのではなく、
スタジオなど他人の存在が影響するような場所でなければ尚のこと、
本人次第でいくらでも引き返すことができる。
今日はやっぱり体がだるいとか、
どうにも気持ちが前を向かないとか、
なんだかよくわからんが気分じゃなくなってきたとか、
いくらでも配信が始まらない背景は成立し得る。
それでも、配信が予告した時刻通りに開始され、そこへ立ち会うことができる。
思いめぐらせてみると、個人の環境での配信は極めて私的で、能動的で、繊細な出来事だろう。
大量のライブ配信アーカイブが残っているが、その一つ一つに、その日その時間に開始ボタンを押した勇気とそこに立ち会った人々の奇跡が詰まっている。
コロナで多くの劇場ライブパフォーマンスが人々から遠ざかってしまったが、一方で、インターネットライブパフォーマンスが広く認知されるきっかけになったのは紛れもない事実だろう。これは、多くの人々にとっての僥倖だ。
生命と生命が同じ空間を共有することとは異なるものの、ライブパフォーマンスを担う者と受けとる者が成立するという点では、劇場だろうとインターネットだろうとまったく同じである。
だからこそ、日々、配信を予告し、実行するVの者にいたく感謝をするのである。
簡単にやめてしまえるのに、今日も始めてくれてありがとう。
いつでもやめてしまえるのに、唐突にお別れしないでくれてありがとう。
引退したVや、途絶したVのアーカイブを眺めるにつけ、今まだ走り続けているVの奇跡に感謝する。